今思うこと(2014年9月)

小平市スキー連盟  会長 森屋 建男    


 小平市スキー連盟の50周年行事を済ませた翌年の2013年6月から会長になり、1年余りが過ぎました。先シーズンは参加者が最少催行人数に達しなくて取りやめになった行事が出て不満足な1年でした。今年は会員や市民の皆様の参加協力を得られるよう努力して、予定した行事を行えるようにしたいと思っています。
先日「日本スキー100年誌」というA4で432ページにもなる分厚い立派な本が日本スキー発祥100周年委員会から発刊され、初めのところを少し目を通して見ました。
 1911年(明治44年)1月に上越の高田でレルヒが披露したのを始まりとして100年を記念して作製したものです。中身はスキー関連の出来事を会話風にしたり現場的にしたりして、読みやすくなっています。膨大な資料から相当丁寧に編集して大変苦労されたのではないかと思います。   そのレルヒと陸軍高田第13師団の長岡師団長の英知が交差して北国の冬の閉ざされた生活にスキーという光が差し込んでいったのが冒頭です。レルヒが来日するかなり前の1902年の八甲田山で、陸軍がロシアとの戦いの予行演習中に210名中199名が死亡するという惨事が発生し、それを知ったノルウエーからスキーがあればこんな悲惨なことにはならなかったはずですと、スキー板を寄贈されていた。しかしそれがお蔵入りになってしまったのを師団長の長岡は1910年着任後、レルヒが来るというので引っ張り出させた。しかしまったく使いこなせずにレルヒを待ったそうです。新聞の熱意ある取り上げ方にも影響があったらしく披露したその翌月には高田スキー倶楽部が設立されたというからそのスキーの衝撃的魅力はいかに凄かったか容易に想像ができます。
 それから100年とちょっと過ぎましたが、徐々にスポーツとしてまたレジャーとして受け入れられ、高度経済成長の頃には非常に多くの愛好家がその時代を満喫したことを思います。需要があればそれを提供する場や人が必然的に充実してきます。近年のスキーヤーの減少は小平だけでなく都連でも大きな問題であり、その対策としてこのところビジョン策定し、この夏から公開し始めました。小平の連盟も春から事業不催行の事実を真剣に考えるため、対策案を提示し活性化委員会を作る提案をしていたところです。行事を企画する連盟として受動的では立ち行かなくなってきました。理事会で知恵を絞り積極的に組織力を使って行動を起こしていくことになり、近々そのために会員の皆様全員にアンケートを送ります。是非ご協力ください。
 都連の中で小平のようにいくつかの仲間クラブが「連盟」という行政単位の組織を作っている所属団体は40ほどあります。それとは違う「クラブ」単位で所属しているのは何百とあります。「連盟」は会員だけでなく一般区民や市民への地域サービスも非常に重要な責務です。楽しみの提供、健康健全ライフの提供、行政との連携などと役割は広いです。会員は各クラブ内で十分楽しめていれば連盟行事に関わりを持たなくてもいい、と考えている方々は特にピークが過ぎた高齢になったクラブには多くおられると思います。それとは逆にやや若い方でもクラブが十分に活動してなく、クラブ行事でなく個人的に滑っている方がかなりおられるようです。もちろんそういう方はたぶん連盟行事にも参加しなくなってきていると考えられます。連盟の今後を考えますとクラブがまずしっかりと活動し、その上で協力を頂き、そして個人的にも連盟を支えていただける人材が必要です。
 レルヒが披露した翌月には高等女学校の女性教師にも講習会を開き指導したそうです。明治末期のあの時代でそれを実践するとは驚きです。その100年からすると短いですが、それでも連盟が50年以上続いて来たのはその時代時代の方々の熱意があったからです。冬の楽しみのスキーを生涯スポーツ・レジャーとして、次々に引き継ぐにはその熱意が特に必要であると思っています。